ニルスの摩訶不思議な旅

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第11回 ここがへんだよ、スウェーデン

2002.10.22

さて今回は、スウェーデンというと福祉大国、理想郷のイメージがある国ですが、その実態は・・・・・といったところをお話ししたいと思います。

1、社会的弱者天国
福祉大国とは社会的弱者に対して配慮がなされている社会のことです。確かにいわゆる社会的弱者である高齢者、障害を持っている人、健康に問題があって仕事に就けない人、スウェーデン語のできない移民難民、子供等に対しては、さまざまな補助や援助があります。では弱者ではない人々、つまり、仕事に就くことのできる健康状態にあり、実際に仕事に就いていて自分の収入で生活ができる人々ですが、こういう人々に対する配慮はなされているのでしょうか。

このような人々の納めている税金がスウェーデン社会を支えているわけです。給料の高い人は、それなりに税金もガッポリと取られています。配慮があるとすると、病欠をする場合の手当や失業した場合の手当があること、または、子供が生まれた場合の両親手当や両親休暇も充実していることでしょう。しかし、つまりこれは、社会的弱者になって初めていろいろな恩恵が受けられるということになります。バリバリと働いて稼げば稼ぐほど税金で持っていかれてしまうわけですから、自分を犠牲にしてまでバリバリ働くという人はほとんどいないわけです。いるとしても、それはお金のためではなく、自分がやりたいからやるのだと思います。

この制度は国民にとって親切なようで、一生懸命働こうという士気が上がらない制度という気もします。とにかくこの制度を利用できるだけ利用する人が多いことも事実です。一生懸命働くよりも、なんとか手当をもらって暮らして行く方が楽なわけです。なんとなく、この国の人々に士気が感じられないのは、気候のせいだけではない気がします。

2、囚人天国
スウェーデンには死刑制度はありません。犯罪者に対しても、社会的弱者としての配慮がなされているのです。スウェーデンの刑務所はホテルのように居心地がいいそうです。夏休みも与えられると聞きます。どんなに重い刑でも10数年で釈放されます。そしてまた罪を繰り返すということもあるそうです。ロシアあたりの犯罪者がスウェーデンの刑務所に入りたくて、わざとスウェーデンで罪を犯すこともあると聞いたこともあります。

3、救急でも数時間の待ち時間
診察は予約が当たり前ですが、予約を取ると早くても1週間後の診察となります。すぐに診てもらいたい場合は救急施設に行くしかないので、風邪やちょっとした熱程度で医者に行く人はまずいません。例えば、足の骨を折ったり、心臓発作を起こしたりという本当の救急の場合でも、2〜3時間待たされることは少なくありません。その間、看護士が様子を見に来ることはありますが、本当の医者が来るまではとても待たされます。医者の数が少ないのです。心臓発作を起こしてそんなに待たされてはたまったものではありません。あまりに待たされて危ない状態になって、医者が慌ててやって来たということもめずらしくありません。これは公の医療の場合で、プライベートの医療ではそんなことはないようです。命に関わる場合は、高額でもプライベートの医者にかかった方がいいのではないかと考えてしまいます。

4、行列が当たり前のカフェテリア
マクドナルドやカフェテリアなどは、いつも行列ができています。これは人気があるお店というのではなく、従業員の少なさからくる行列なのです。あるカフェテリアでは、たった1人しか従業員がいません。その人が注文を聞き、自ら作り、会計もし、後片付けもするという状況なのです。これでは行列ができるのは当たり前です。それをまた当たり前のように、みんなじっと待っています。カフェテリアに限らず、デパートなどでもそうです。従業員の数がとても少ないのです。これは人件費が高いから従業員を増やせないという実情があるようですが、一方で失業者も多いわけですから、なんとかできないものかと思ってしまいます。

5、マニュアルのない世界
役所や各手続きをする場所にしても、担当者によって対応が違うことがあります。特にお役所仕事にマニュアルはないようです。窓口の人によって言うことが違います。ある日、書類が不備で手続きできないと言われても、次の日に別の窓口に行くと、同じ書類で通ってしまうことも少なくありません。また、電話で問い合わせをしても、まず通じることはありません。受付開始時刻ちょうどに電話をするとたいてい話し中ですし、やっと通じたと思うと留守電になっていたりします。めずらしく人が出たとしても、それはここではないと言われてしまいます。電話での問い合わせで、満足した試しはありません。

こんな国ですので、初めのうちは開いた口がふさがらない状態が続きましたが、除々にその対応もできるようになりました。つまり、こういうお国柄なんだと理解することです。また、社会的に成功して巨額の税金を納めるよりも、社会的弱者で通した方がいいのではないかと感じてしまう今日このごろでもあります。物質的な社会ではないし、教育にお金もかからないので、住むところがあって、食べ物があって、犬でも飼いながら自然に囲まれてのんびりと暮らすのには、手当だけでも充分なわけです。手当の期限が切れたら1年くらい働いて、また辞めて手当をもらうということを繰り返す人もいます。仕事によって体を壊し、今後仕事に就けないと主張すれば(普通の生活には全く支障はない)、手当がずっと支給されたりします。

アクセク働くよりも、自分の時間をたっぷりと持って、好きなことをして暮らす方が幸せじゃないかという考えが浸透している社会と、お金がないと何もできない物質的な社会である東京の暮らしと比べると、考えさせられる部分もあります。仕事というのは、お金を稼ぐ手段というよりも、自分を表現する手段と考えた方がいいのかもしれません。