ニルスの摩訶不思議な旅

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第17回 何でもありの国、スウェーデン

2003.7.1

さて、本日は多くの反響をいただいた前回の「勝ち組、負け組」の続編という わけではありませんが、前回に引き続きスウェーデンのお国事情についてお話 ししたいと思います。

最近の日本も「何でもあり」に近づいているかもしれませんが(例えば、金髪 の日本人が最近やけに増えていませんか?)、社会的にはまだまだ閉鎖的な部 分が多いかと思います。スウェーデンの何が「何でもあり」なのかというと、個人的な問題が「何でもあり」なのです。例えば、結婚していないカップルは 一般的です。子供ができようができまいが結婚という制度にとらわれず、一緒にいたい者同士が一緒にいます。ですから、未婚の母みたいな表現はありませ ん。それをいうと、50%以上の女性は未婚の母と言えます。未婚の母だからといって母子家庭というわけではなく、父親はきちんといます。

スウェーデンに来てまず驚いたのが、複雑な家庭環境が如何に多いかということです。これはストックホルムという都会の中で、たまたま私のまわりがそうなのかもしれませんが、まず10歳くらいの子供の両親がそろっていることがめずらしいのです。ほとんどの両親は離婚または離別しており、新しいパート ナーと暮らしています。しかし、子供にとって生物学的両親は一生変わらず、親としての責任も変わりません。ですから、離別していようが、新しいパート ナーと暮らしていようが、子供たちは母親、父親の両方に育てられます。一般的なのは、1週間交代で母親、父親と暮らすというパターンです。複雑になる のは、その新しいパートナーにも子供がおり、また新しく子供ができたりと、半分血の繋がった兄弟姉妹がとても多くなることです。

ある知り合いのお誕生日パーティに出かけた時のことです。彼女は成人している大人で、両親は離別しています。例え離別していようと、娘のお誕生日には 生物学的両親は揃って参加します。しかもどちらも新しいパートナーを連れてきます。またそれぞれの子供たちも連れてきます。元パートナーが、新パート ナーと仲良く会話をしたりしています。とてもフランクなのです。別れ方がじょうずなのか、大人なのか、ドロドロしたところが全くありません。この複雑 な人間関係に初めはとても戸惑いましたが、今ではそれが当たり前と思えるようになりました。

逆に、日本でありがちな、離婚したら引き取らなかった父親や母親と子供が会わない、再婚したら子供に新しい夫や妻のことをお父さん、お母さんと呼ばせると言ったことが、如何に不自然かと思うようになりました。子供は両親が揃っていることよりも、誰が父親、母親であるかを明確にし、いつも一緒にいられなくても、両親からの愛情を感じられるということが必要なのだと思います。不自然な人間関係はお互いに無理が生じ、結局はうまくいかなくなります。ですから、無理に新しいお父さんやお母さんになる必要もないし、呼ばせる必要もないのではないでしょうか。それよりも、本当の両親がしっかりと子供に愛 情を注ぎ、その態度を子供に分かるように示すことが大切だと感じてなりません。

またよくあるのが、ゲイカップル、女性同士のカップルです。これはかなり一般的で、ゲイであることを隠したりはしません。普通の小学校の担任の先生がゲイであっても、そこに何の問題もないのです。その人は、自分がそういう人間なので自分の子供を持つことはないから、子供と接触の持てる小学校の先生になったとのことです。先生としてとても適任で、子供への理解もあるし、子供にも大変人気があります。

スウェーデンの場合、ユニセックスが行き渡っていて、男が男として、女が女として意識する必要がほとんどありません。ですから、むやみに肌を露出した服装をする女性も少ないですし、例えしていたとしても、それがイヤらしくないのです。そこに異性を意識したものが感じられないからだと思います。男も女も似たような格好をしているし、話し方も似ています。職場でも、男だから、女だからという分け隔てはありません。自分に向いた仕事というのがいちばん適しているのです。うちは料理と皿洗いは夫の仕事、という女性もけっこういます。彼女は掃除や洗濯はするけど料理は全くしないと言います。

こういう社会では、自分が男である、女である、何歳である、ということを全く意識せずに、ただ素直に何をしたいのか、何に適しているのかを純粋に考えられて、とても居心地の良い社会であると思います。人間は皆違って当たり前ですし、自分のことが分かるのは自分だけですし、ありのままの自分を受け入れてもらえる社会で暮らせるという心地よさに勝るものはありません。日本の社会も早くそうなってほしいものです。